κ型BEDT-TTF塩

 κ型BEDT-TTF塩は二次元のモット絶縁体です。最初の「κ」は分子の並び方、BEDT-TTFは図1Aに示す分子の略称、最後の「塩」はBEDT-TTFが酸化によってカチオンラジカルとなり、各種カウンターアニオンとイオン結晶を作っていることを意味しています。我々がしばしば扱うBEDT-TTF塩である、κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Brの構造を図1B,Cに示しておきました。BEDT-TTFは一分子あたり+0.5価になっており、二次元伝導層を形成しています。伝導層の間にはカウンターアニオンであるCu[N(CN)2]Brが一次元配位高分子鎖を作って並んでおり、結晶全体の電気的中性条件を保つようになっています。伝導面内ではBEDT-TTFがダイマーを形成して、交互に90°回転したダイマーが並ぶ構造(丸に並び杵文様)になっています。分子間の相互作用は、ダイマー内相互作用が一番強いために、本当は1/4充填のHOMOバンドが結合性軌道のバンドと反結合性軌道のバンドに分裂し、フェルミ準位はちょうど反結合性バンドを半分満たしたところに位置しています(Effectively half-filled)。その結果、バンド計算からは図1Dに示すような丸いフェルミ面が導かれ、その円の面積はちょうど第一ブリルアンゾーンの100%になります。また、この丸いフェルミ面は、隣のブリルアンゾーンからはみ出してきたフェルミ面と境界で交わり、波打った擬一次元フェルミ面とレンズ状フェルミ面に分けて考えることも出来るという状況です。(測定手法や外場によってどちらの側面がより強調されるかは異なってきます。)

k-Br-Fig1

図1 A:BEDT-TTF (Bis(ethylenedithio)tetrathiafulvalene)の分子構造。黄色が硫黄、グレーが炭素、白が水素を表す。B:κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Brの結晶をc軸方向から見た図。C:κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Brの伝導面を上から見た図。青丸でダイマーを表してある。D:κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Brのフェルミ面。(図は別画面で開くと拡大出来ます)

 さてκ型BEDT-TTF塩の相図は、実効的フィリングを1/2に固定したときの温度-圧力相図がよく知られており(図2A)、反強磁性モット絶縁体と超伝導相が隣接しているという特徴があります。圧力によって電子相関の強さU/Wが変化するため、モット絶縁体が加圧されると、ある圧力以上でモット絶縁体から金属または超伝導に転移が起きます。この圧力は、物理的圧力(静水圧)以外に化学的圧力によっても制御出来ることが知られていて、カウンターアニオンをI3やCu(NCS)2に代えたり、BEDT-TTFの水素を重水素に置換したりすると、電子系が相図上を左右に移動して、モット絶縁体になったり金属・超伝導になったりします。また、モット絶縁体と超伝導・金属の境界は一次相転移線になっていて、その境界線は40K付近の臨界終点まで続いています。一次相転移線付近では、超伝導と絶縁体が共存する領域(部分超伝導領域)があることも知られており、この領域では非常に微妙な圧力・温度・磁場の制御で超伝導の体積が増えたり減ったりします。

 次に、κ型BEDT-TTF塩のバンドフィリングが1/2からずれた場合を考えましょう。フィリングが1/2からずれると、モット絶縁体の整合条件は外れますが、まだ電子相関は残っている状態が期待できるので、その物性に興味が持たれます。ところが、一般的に分子性の化合物は、ポテンシャルの乱れなしに化学的ドーピングをするのが難しく、κ型BEDT-TTF塩もフィリングが0.5以外の値を取ったときにどうなるかという研究は、いくつかの例外(たとえば、フィリングが0.45のκ-(BEDT-TTF)4Hg2.89Br8)を除いてなされていませんでした。そこで我々は、電界効果トランジスタ(FET)の原理を使えば、図2Bのような電子相関とバンドフィリングとをパラメーターとした相図においても、κ型BEDT-TTF塩がどのような相変化を示すか解明することが出来るだろうと考えました。電界効果では、界面の分子層に対して電気的にキャリアを注入することが出来るため、バンドのフィリングを精密に制御できます。特にκ型BEDT-TTF塩などの分子性導体は、もともとの面キャリア密度が2×1014程度と非常に低いため、FETに同じ電界をかけたときの制御範囲が無機モット絶縁体に比べて大幅に広くなるという利点があります。従って、κ型BEDT-TTF塩を使ったモット絶縁体FET(Mott-FET)において、電界効果を丹念に調べていけば、温度・電子相関・フィリングをパラメーターとした、三次元の相図を完成させることが出来るのではないかと期待されます。なお、理論的には、図2Cのような三次元相図が提案されているので、この予想が我々の研究を進める上で、ひとつの指標となっています。

k-Br-Fig2

図2 A:κ型BEDT-TTF塩の温度-圧力相図。B:κ型BEDT-TTF塩の電子相関-フィリング相図。実際には、モット絶縁体を取り囲むようにして、超伝導相が広がっている可能性がある。C:DMFT理論などにおいて予想されている三次元相図。(図は別画面で開くと拡大出来ます)